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2020年6月20日

2020.6.19 兵庫津が日本酒の認定で二つの日本遺産のまちに

文化庁は、6月19日に新たに21件を日本遺産に認定しました。兵庫県では、神戸市、尼崎市、西宮市、芦屋市、伊丹市が申請を行いました。テーマは、「『伊丹諸白(もろはく)』と『灘の生一本』下り酒が生んだ名醸地、伊丹と灘五郷」です。江戸時代、上質の清酒が下り酒として江戸に届けられて地域の経済発展に大きな貢献をしました。これで、兵庫県の日本遺産は9件で全国最多の県となり、神戸では2件目となりました。

 

今回の日本酒認定の構成文化財の中に、兵庫津にかつてあった酒樽・桶づくり道具一式(樽屋権兵衛家)や酒造家稼名前帳(兵庫津の江戸積用の酒鑑札を所持する酒造人を大坂町奉行所に届け出た古文書)が含まれており、兵庫津としては、北前船寄港地に加えて二つの日本遺産のまちとなりました。

 

古くは、灘における伊丹・灘の酒造り以前に、兵庫津で菊正宗のルーツ嘉納治郎衛門が福厳寺に於いて、後醍醐天皇に旨酒を献上した資料があります。

 

菊正宗の嘉納家は兵庫津の材木商として伊丹の白雪 小西酒造と共に多くの土地を保有しておりました。

 

ウィキペディアには、兵庫津の北風家に関する次の記述があります。
『北風家は江戸時代、主要7家に分かれ、兵庫十二浜を支配した。江戸時代、河村瑞賢に先立ち、1639年加賀藩の用命で北前船の航路を初めて開いたのは一族の北風彦太郎である。また、尼子氏の武将山中幸盛の遺児で、鴻池家の祖であり、清酒の発明者といわれる伊丹鴻池幸元1600年、馬で伊丹酒を江戸まで初めて運んだ事跡に続き、初めて船で上方の酒を大量に江戸まで回送し、「下り酒」ブームの火付け役となったのも北風彦太郎である。さらに、これは後の樽廻船の先駆けともなった。なお、北風六右衛門家の『ちとせ酢』等の高級酢は江戸で「北風酢」と呼ばれて珍重された。また、取扱店では「北風酢颪:きたかぜすおろし」と看板を出す酢屋もあったという。 俳人与謝蕪村の主要なパトロンが63代北風荘右衛門貞幹である。貞幹は無名時代の高田屋嘉兵衛を後援したことで知られる。』

 

また、神戸市史には、兵庫津で、元禄10年(1697)には酒造家36軒(36株)が3500石の酒を造っており、36軒のうち7軒の酒造家が、宝永3年(1706)から正徳4年(1714)の間に、西宮などの酒造家へ酒造株を譲渡したとあります。また、酒造株を貸したり借りたりした記述もあります。さらに、酒造米高18628石を生産した別の記録もあります。

 

兵庫津の良質な水質を活かした酒造りは灘五郷のルーツでもあったのです。

 

そして、江戸時代樽製造の樽屋は兵庫津で50軒くらいあったことから、北前船での酒樽運搬の重要な地域でありました。

 

また、兵庫津の最後の酒ブランド「湊正宗」は湊八幡神社の総代牧野家が経営をされていました。

 


*資料 神戸博物館所蔵文書 神戸市史 歴史編近世

 


*資料 神戸博物館所蔵文書 神戸市史 歴史編近世